5月22日木曜日 予定をかえてシギショアラに残る
うす曇り。小雨も降った。旅行中、始めての曇り日。
予定では夕べの夜行で、ミラー博士とともにハンガリーのブタペストに戻るはずだった。汽車の寝台切符も買っていたのだが、シギショアラが気にいってしまったので予定変更。明日までここにいることにした。
雨上がりの街はしっとりとして風情がある。ホテルを出て右手の坂の上にある墓地へ。小学生が坂の上の学校に雨や雪をしのいで通えるように工夫された、屋根付きの階段がある。
墓石はドイツ名が多い。先祖の墓参りに来るドイツ観光客も多いから、レストランにはドイツ語メニューがあったりする。
この街のシンボルともいえる時計塔にのぼった。14世紀のものが焼けて17世紀に再建されたと聞く。今も正確に時を刻み、からくり人形が動いて街に時を告げる。てっぺんの展望台には、手すりのところに東京まで8890キロ、ニューヨークまで7431キロ、ウィーンまで656キロなどと表示があった。塔の中は地元の資料室となっていて、その昔、手工業で栄えた街らしく、帽子屋ギルドのシンボルや、ジンジャー・ブレッドを作る際の型、昔の重厚な家具、16世紀の扉、食器類、工具類などなど展示されている。地元の小学生たちが先生ふたりに引率されて、せまい階段を集団でのぼって来た。ぎしぎし音がする。
時計塔の展望台から見下ろす。城壁を超えた外(ダウンタウン)に並ぶオレンジ色の屋根やねが連なっている。遠方には緑の森。さわやかな風が吹き渡る。
塔をおりて、城壁内の広場にあるポストから絵はがきを投函。広場を囲むようにカラフルに彩られた建物がいくつか面している。ポストに近い建物の、その一つの窓から、おじいさんが顔を出した。午後のひとときを窓辺でヒューマン・ウォッチングをして過ごしているようす。
ルーマニアのお金の換算にもちょっと馴れた。まず、やたらと桁数が多いのがやっかい。100.000Lei は、およそ360円、4カナダドル余り。ホテルのレストランで赤ワイン一杯飲んだら、50.000レイ。私の場合、頭の中がカナダドルなので、だいたいの換算として、下4桁の0を消して2で割る方式をとった。そうするとグラス一杯のワインで2ドル50セントというわけだ。
1.5リットルの水のボトルを買ったら、13.000レイ。店によって、またはメーカーによって販売価格は異なっていた。飲料水をレストランで頼む場合、炭酸入りでない水は英語でフラット・ウォーダー(flat water)といえば通じた。
ホテルの部屋の冷蔵庫にあったビールやら水やら飲んでいて、「高くつくのかもなあ」と思った。街におりて、ビールを買ったら意外な料金。レシートをじっくりみたら、支払いにボトルの代金も含まれていたのだ。翌日、空き瓶を返却したら小額ながらボトル代が返って来た。わざわざ往復することを考えれば、部屋のミニバーを利用したほうが楽ちんである。
5月23日金曜日 ものすごい寝台車!どうにかウィーンへ
とうとうシギショアラを離れる日。今日も風すゞやかで過ごしやすかった。
汽車の時間までマがあったので、山の手の旧市街からダウンタウンまで下ったりのぼったり、あちこち写真撮影。広場に面するホテル近くのレストランのパティオでゆっくりランチとコーヒー。ヒマだったので持っていた紙で鶴を折った。
パティオでくつろいでいると小さな女の子がやってきてお金をねだる。ウェイターがそれに気付いて、あっちへ行けと手ではらう。ジプシーの母親は広場の木のふもとのベンチに座って、娘が物乞いするのを眺めているではないか。母親の足下にはストローラーに寝かされた赤ん坊もいる。ウェイターが母親に向かって、「この子はあんたの子だろう。客に迷惑かけるな。子どもと一緒にどこかへ消えとくれ」と言っていたようだった。まもなく母親と子どもはどこかへ行ってしまった。
例のポスト近くのアパートのおじいさんが窓から顔を出す。ヒマそうにただぼんやりと観光客を眺めている。走って行って、折鶴を差し出したら、何だろ?という感じで、黙って受け取ってくれた。私は急いで走り去ったので、おじいさんの表情をみることもなかった。
夜、駅のプラットフォームでウィーン行きの夜行列車を待つ。しとしと雨が降りだした。警備の軍服姿の若者がひとり立っていた。私達にまとわりついていたジプシーの男の子が「1時間は遅れるってよ」と英語で教えてくれた。
しとしと雨、空気が冷え込んで来た。我慢しきれなくなって駅の地下にあるトイレへ駆け込んだら、そこは生き地獄!!まるで台風後のように水びたし。ドアを開けると便器もペーパーも何も無い、コンクリートの穴。ドアには鍵もない。ぴちゃぴちゃ天井から音がする。ぞ〜っとして、恐くなって逃げた。階段を駆け上がった私に、青年が「オレはここでトイレの掃除をしてるんだ。金を払え」とくい下がる。仕方ないからポケットの小銭をやった。とても恐ろしいモノを見てしまった!シギショアラの町長に駅のトイレを改善するよう手紙を書かなければ!
夜9時9分発の列車がシギショアラに着いたのは、11時過ぎ。列車に乗ると、夜叉のようにおそろしい顔つきの大柄な女性が切符を点検。私と相棒をなかなか車両の中にいれようとしない。降ろされるのではないかと一瞬不安になる。或は、袖の下を使うべきなのか。切符をじろじろ見て、あれこれ言ってくるが意味がわからない。
ようやく寝台車の個室へ連れて行かれて、シーツと枕カウ゛ァーをもらった。切符の寝台番号とは異なる部屋だ。連れて行かれた狭い個室には、6つのバンクベッドがあり、私たちを入れたら満室。上の段に相棒が、私は中段に寝ることになった。下には愛想の悪いおばさんが横になっていて、私達が入って行ったら、うさん臭そうににらんでいた。隣の列は上からセルビア系の学生、中段にドイツ移住したというルーマニア人おばさん、下段に中国人留学生といった顔ぶれ。
夜中にゴトンと列車が停車。午前3時過ぎに1回めのパスポートチェックがあった。眠い目をこすり、半身起き上がって、太った検査官にパスポートを手渡し、じっと待つ。と、なんだか奇妙な感触がわき上がって来た。か、か、かゆい!お腹と背中が異常にかゆい!!見てみたら、しっかりノミにくわれている〜。吸血鬼だ〜。他の人は何事もないようす。後で数えたら12か所、真っ赤な点々ができていた。もう2度とルーマニアでは夜行には乗るまい!(それにしても、あくまでも日記のネタを提供してくれるルーマニアの汽車である。)
真夜中4時過ぎに2回めのパスポートチェックがあった。今度は検査官ふたり。ひとりが中国のパスポートを見たとたん固まっていた。すぐに無線で指示をあおいでいたが、暫くすると問題ないとパスポートを中国人学生に戻していた。よかった、よかった。
朝、7時か8時にブタペスト着。ここで1時間以上も停車。ルーマニアとハンガリーって確か1時間の時差がある。正確な時間がわからない。いつ発車するのか、何のアナウンスもない。だんだんおなかが空いて来た。予定ではウィーンに着いている時刻のはず。到着してからどこかで朝食を食べようと思っていたので、食糧を持ち込んで来なかった!あああ...
今や個室には、相棒と私と「ドイツに移住したルーマニア人おばさん」のみ。彼女は気のいい人で、「ドイツの人は時間厳守だけどね。ルーマニアとか、いい加減だものね」と笑いながら、私達に何やら差し出した。ルーマニアの家庭料理だというPlacinta cu brinza(プラチンタ ク ブリンザ)。羊のチーズと刻んだネギやデイルを小麦粉に混ぜて、油で揚げるか、両面をフライパンで焼いたようなパンかピザのようなもの、と言えばいいだろうか。その丸い形のパンが、ほのかな野菜の香りとチーズとともにジワリと味わいがあった。ルーマニアのどのレストランで食べた料理よりもおいしかった!実においしかった。好き嫌いの激しい相棒も、おいしそうにほおばっている。
「おいしい」と伝えると、おばさんは喜んで、「もっとどう?早く食べないと傷むからね、さあ、もう一枚くらい食べなさい」とおかわりを進めてくれた。一見、引っ込み思案というか、おとなしそうだけれど、ルーマニアの人って一旦おしゃべりして打ち解けるとトコトン親切だ。おばさんはドイツ語でしゃべり、それを相棒が推察して答えると言った会話ながら、私達3人は笑顔でなんとか通じ合った。旅って、こういうことがあるから楽しい。
汽車は予定を大幅に遅れること4時間半。お昼12時半にウィーンに到着した。出迎えてくれるはずのリスロテが駅にいなかったのも当然であった。
お次はウィーンでパンダ!