5月20日月曜日 ボルゴ峠を南下、シビウへ
移動日。車中、ニコライの話を聞く。60年代、まだ大学で英文学を学んでいた頃、アルバイトでツアコンを始めた彼は、ルーマニア観光史を実体験している人物といえる。そう、ルーマニアが海外に門戸を開いたのが60年代。海外からの観光客が、「ドラキュラ」の舞台を探してやってくることに驚いた彼は、客が残してくれたストーカーのその小説を読んでびっくり。
何しろ「どこが『ドラキュラ』の住んでいた城ですか?」なんて質問があるくらいで。そのせいで観光局は、観光客が訪ねやすく、しかも、小説中の描写に似通った城を、ドラキュラ城として世間にみせるようにもなった。
74年にはドラキュラにスポットライトをあてたツアーを企画。
83年には、今回我々も宿泊したHotel Castle Dracula(ホテル・ドラキュラ城)がオープンした。
90年代になって、小説「ドラキュラ」は、ルーマニア語に訳されて出版された。「そのせいで、今では小説の方を信じるルーマニアの読者がいますよ。トランシルウ゛ァニア地方にはドラキュラがいたのか!なんてね」と笑うニコライ。
なるほど、小説をぞっこん信じる読者はいるものだ。カナダのプリンスエドワード島のグリーン・ゲイブルズを訪ねる「赤毛のアン」ファンが、「アンはどこにいるの?」と聞くようなものだ。アンにしろ、ドラキュラにしろ、フィクションが現実化しているのは興味深い。
ニコライは、ひっぱりだこの存在のようで、ひっきりなしに携帯電話が鳴る。隣に座っているミラー博士に「ちょっとハンドル握ってて」と言って、ニコライはタバコに火をつけ、携帯でしゃべり、アクセルを踏み、片手で地図を探すといった具合。一度などは、右手に持った電話でしゃべりつつ、右肘でハンドルをとりながら、左手で窓ガラスを下ろす、などといった離れ業(?)をやっていた。
また、携帯が鳴った、と思ったら、アイルランドからの国際電話。ミラー博士への電話インタビューだった。
夕方、古い街、シビウ(或はセビュウとも聞こえる)着。町中からちょっと離れた宿泊先のホテルでは、北欧からの集団が泊まっていた。レストランでは、彼らのためにルーマニアの民族舞踏が披露されていた。便乗して見せてもらって写真をぱちぱち。カラフルなベストを着たタイツ姿の若者たちが、笑顔をふりまき、軽やかに脚をあげて踊る姿は見事。女性たちは小柄ながら、感じの良い美人揃い。ルーマニアは美人が多いと評判だが、超美人というより整ったおとなしい感じの女性が多いように思った。
5月21日火曜日 シビウ観光
風さわやか、日射しあつあつ。シビウは、シギショアラに「都会」というトッピングを振りまいたような街。ルーマニアの中の文化都市とも紹介されているほどで、中世の姿を残しつつ、近代化の風をうけて経済成長しているような感じだ。
ここではホメオパシー療法で著名なドイツ・ドレスデン生まれのサミュエル・ハーネマン(1755〜1853)を記念する小さな博物館を見学したり、小説「ドラキュラ」のモデルとして一般に知られているワラキア公ウ゛ラッド・ツェぺシュ(串刺し公)の息子が暗殺されたといわれる場所とその傍の教会見学。(この教会内は写真撮影可能だが有料だった。案内してくれたハンサム君に御礼のチップをはずんでしまった。この夜、ゲイの友人に「ルーマニアはハンサムばかり」と手紙を書いたのはいうまでもない。)
シビウで一番うれしかったのは、ルーマニアに来て始めて、犬をさわったこと!この国は野犬がいっぱい。彼らの性格も屈折しているようだ。異常にびくついて逃げてゆく犬がいるかと思うと、こちらが近寄ると歯をむき出しにしてうなる犬もいた。「おいで、おいで」と優しく言っても、しっぽを振ってくれる犬は、まず、いない。飼い犬の場合は番犬のせいか、近寄るとがんがん吠える吠える。噛まれると狂犬病の恐れもあるから、容易に手出しは禁物だ。
この国では、犬をさわれないのか、とがっくりしてたら、今日は、とっても毛並みが良く性格もよいワンくんが、向こうから近寄ってきてくれた。前足を出して「あのね、あのね」といった感じで、私に話しかけてくれた。相棒Jがカメラを向けると、しっかりポーズもとってくれた。感動。
シビウからシギショアラへ帰る車中、丘へ向かう道路沿いに店開きをしている羊飼いがいた。大きな円い形をしたゴート・チーズを売っている。産地直送!だ。旨いだろうなあ、と思ってると車だからすぐに過ぎ去ってしまった。
立ち寄る村々の道は、どこも鋪装もはげて穴ぼこだらけだ。その村の行政予算で道路を管理するわけで、なかなか予算がないのだろう。村を出れば、そこは別の行政機関(国かもしれない)が管理をしているから、予算があるらしく道路情況はすこぶる良い。
なだらかな緑の平原。遠方の山脈にかすかに残る雪。時折通り抜ける並木道のうつくしさ。ため息のでる風景が続く。
化学工場が見受けられる町を通過。その辺りの木々や家屋はススで黒ずむという。相当な空気汚染が進んでいる地区もあるようだ。
耕されていない広い平原も見受けられる。「休耕田なのかな」と訊くと、「農具の不足や人手不足で耕せない田畑も多くなっている」とニコライ。
数時間のドライブでシギショアラへ戻って来れた。午後2時。ミラー博士と私は遅めのランチをホテルのレストランでいただいた。普通のミートソースのパスタを頼んだら、パスタがと〜っても柔らかく湯で上がっていた。(ルーマニアのシェフの皆様!イタリアに行って修行してくれ〜。)
「数年前はね、いくらお金をつんだとしても、この国は、まず物がなかったわね。今ではお金を出せば、それなりの物が手に入るようになったわ〜」とミラー博士。
といっても、シギショアラのお店では物が溢れるほどあるというわけではない。野菜を売っているお店に並ぶ人たち。レジの後ろに野菜や果物が置いてあって、店の人に言って取ってもらい、その場で支払うというシステム。あれこれ手に取って物色できないのだ。別のスーパーでは、棚に並べられた品の下に値段が書いてある紙が貼付けてある。紙だけあって、棚に物がないところも目についた。
パン屋でパンを買うと、全体を紙に包んでくれるか、或は、バゲットを持つ部分に充てる分の小さな紙をくれるかだけ。そう、プラスチック・バッグは使われてない!これには感動した。ホテルも3か所泊まったが、ゴミ箱は通常トイレに一か所。コップはガラスのコップで、紙コップとかプラスチック製ではない。これにも感動。
物価の違いには愕然。我々のような先進国(?)からの観光客は、それなりの額をホテルなど観光場所では請求されているわけだが、それでも安価に感じた。
ある朝、メイドさんへチップを1米ドル残した。あとで廊下で出会った彼女が、笑顔で「サンキュー」と挨拶してくれた。数日後、メイドの月給は100米ドルくらいと知って驚く。1米ドルでは、アメリカではスタバのコーヒーも飲めない額なのに...
夕食は、ウ゛ラッド・ツェぺシュ公の生家を改築したレストランにて。この建物は14世紀から15世紀にかけて作られたもの。この家に1431年から36年にかけて、 ドラゴンの称号をもつVlad Dracu(ウ゛ラッド・ドラク)が住んだ。その息子ウ゛ラッド・ツェぺシュが1431年にここで生まれたという。Vlad Dracu(ウ゛ラッド・ドラク)の息子という意味でVlad Dracula(ウ゛ラッド・ドラクラ)とも称される人物だ。
名の音韻が似ているせいもあって、ストーカーの小説「Dracula/ドラキュラ」と混同されることになった。このあたり詳細はまたの機会に書くことにしよう。
お次はシギショアラからウィーンへ