ドラキュラ伯爵関連地を訪ねて

5月19日月曜日 Bistritz(ビストリッツ)からBorgo Pass (ボルゴ峠)へ

ミラー博士、相棒Jと私がニコライの車に乗り込んで出発したのは、予定より数時間後。今日の一大イベント&目的は、ジョナサン・ハーカー(ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」の登場人物)が、ドラキュラ伯爵の城へ向かう途中立ち寄った町ビストリッツへ行くこと。そうして、ジョナサンが食したと言うrobber steak(どろぼう焼き)を食べること、である。

もちろん、ストーカーの小説はフィクションだから、発表当時(1897年)はジョナサンが泊まったとされるホテルなど実在していなかった。ところが、「ドラキュラ」の愛読者や観光客がビストリッツへ来始めた事から、現在では"Restaurant Coronita, Count Dracula's house"という名称のレストランが出来ていて、小説中のrobber steak(どろぼう焼き)なる料理も出してくれる。そのレストラン横には、なんとホテルも立っている。小説に出て来るジョナサンが滞在したGolden Krone Hotelをイメージしたものだろう。フィクションがノン・フィクション化してしまったわけだ。

シギショアラから向かう途中の道々で、私にとって珍しい光景を見た。

1)

まず、路上でヒッチハイカーが多いこと。旅行者ではなく、ごく普通の人(買い物帰りの主婦らしきひと、学校帰りの若者とか)が、道路脇で手を挙げているのだ。庶民はマイカーをもってないから、他の人の車に便乗して、町へ用足しに行き来しているらしい。

2)

年少の子どもたちが一人で歩いている事。保護者なしで登下校してるなんて、まず、北米の都会では考えられない。「誘拐はないのか」と尋ねたら、案内のニコライが「そんなことありえないよ」とびっくりしていた。よく、ジプシーが人さらいすると聞くが「子だくさんのジプシーは他人の子を誘拐しないよ。食べさせられないからね」とニコライ。

3)

コウノトリが民家の煙突に巣をつくっていること。縁起のいい鳥なので、巣を作ってもらうと、そこの家の人たちの自慢の種となる。が、煙突が使えなくなるので、かなり迷惑で不便なはず。

4)

昔の風習が残っている村を通りかかったら、門が花輪で飾り付けられた家を見かけた。年頃の娘のいる家だそうだ。美しい花束を飾って世間に「そろそろ婿募集」のメッセージを出しているらしい。年二回、春と秋にその飾りを出す風習がある。年頃の男たちは集団でその家に赴く。すると、そこの父親が酒をふるまってくれる。男たちが飲んでいるところに、娘が登場!と相成るそうだ。酒癖の悪い男は選ばれないことだろうなあ。ニコライ曰く「後家さんも飾りを出していいんだよ」とのことでした。

5)

定住化し始めた一部のジプシーたちの住む家は、各村はずれにある。そう、村の中ではなく、ホントに端っこに固まってある、といった感じであった。私から見たら、家というより廃墟のようだった。やはり貧しい。でも、子どもの物乞いは多いけれど、大人のジプシーの物乞いの姿は、旅行中見かけなかった。

6)

村に入る時、そこの地名の看板が道路に立っている。その表記が数カ国後あったりする。集落にドイツ系がもともと住んでいれば、ドイツ語表記があるというわけ。ルーマニア、ドイツ、ハンガリー語の3言語が並んで表記されている村や町もあった。

さて、ビストリッツに到着。ビストリッツは、人口およそ5万人。12世紀以来の古い街だ。訪ねた日は、陽がさんさんと降り注ぐ素晴らしい天候。

目当てのレストランでは、カナダから来た我々3人を驚かせようと、ドラキュラに扮した観光局のおじさんがマントをひるがえして出迎えてくれた。我々とは別行動をとっていたアメリカの取材陣が既に来ていて、食事をとっていた。どろぼう焼きは、一口に言えば、串刺し焼き肉料理。「ドラキュラ」の1章に描かれたその肉料理は、唐辛子で味付けされたベーコン、タマネギ、牛肉を串にさしてロンドンの焼き鳥風に火のうえであぶったもの、となっている。肉は柔らかく、なかなか食べやすかった。食べてる傍らで、カメラマン氏が、カメラをずっと回しているのが気になった。

ランチのあとは、いよいよドラキュラ伯爵の城へ向かう道、Borgo Pass (ボルゴ峠)をたどる。

一度もトランシルウ゛ァニアを訪れることなく、多種の文献資料をもとに、ストーカーは「ドラキュラ」を書き上げた。彼が見たことのない、でも、小説に登場するボルゴ峠へ車で向かう。

草原にトラックが何台か停まっている。「あれは、蜂だよ。各地の花を求めて、蜂飼いが車で旅をしているんだ」とニコライ。田畑で鍬をふって働いている人々をみかける。暑い事もあって、男性は上半身はだかだ。耕運機などをみかけない。「あんな素朴な手作業を見るのは珍しい」と言ったら、「そうだろう。ルーマニアの農家は未だに自給自足精神があるんだ。というか先進国なみの機材がないこともあるが。英国のテレビ局がわざわざ撮影に来たことが有るくらいだよ。核戦争があったとしても、昔のやり方を知ってる彼らは、立ち直れるだろうね。」

なだらかな山脈が遠方に続く。谷間の農家、果樹園、緑の大地に放牧された牛や羊。山間部では馬が伐採された木々を積んだ車を牽いていた。風景の一部は小説中の描写にちかいものがある。私が勝手に想像していた暗く深い針葉樹林の森や切り立つ絶壁、岩山などは見ることはなかった。

小鳥たちはさえずり、人なつっこい牧羊犬が寄って来てくれたりして、山間部の穏やかでうつくしい風景を見ていたら、どう考えても血なまぐさい「ドラキュラ」のイメージにあわない気がしてきた。

夕方、今夜の宿泊先であるHotel Castel Dracula(ホテル・ドラキュラ城、英語の綴りだとHotel Castle Dracula)に到着。今年でオープン20周年を迎えるそうだ。遠くから見ると白い箱っぽい建物だが、内装はところどころに中世の古めかしさを漂わせている。虫の鳴き声が響いていた。

ロビーには、ミラー博士の肖像画がかかっていた。博士はドラキュラ研究界では超有名人で、Baroness (女男爵)の称号を与えられている。もうひとつの肖像画はBaronなんとか氏。よく見たら、てっきり「ドラキュラに扮した観光局のおじさん」と思っていた男性のお顔である。実は、この方もドラキュラ界の有名人で、ホテル・ドラキュラ城の創始者でもあった。このおじさんは何故か、ルーマニア語、ドイツ語、フランス語に堪能なのに英語は解さない。会話は成り立たなかったけれど、背中にドラキュラと書かれた派手な赤いマントを私に着せて、自分の肖像画の前で記念撮影してくれた。サーウ゛ィス精神に溢れた方であった。

このホテルの地下室には、ドラキュラ伯爵が眠ると言う棺桶が置かれている。壁には怪しげな絵が一面に描かれている。美女を襲うドラキュラとか....地下室の内部は暗く、説明役のスタッフのロウソクの光が揺れるのみ。誰かが棺桶のフタを開けたとたん、中から何者かがブワッと飛び出した。キャーっとものすごい悲鳴をあげたのは、アメリカ取材人のひとり、若手女性プロデューサー!そのあまりの凄まじい悲鳴に、一同驚いてしまった。

相棒Jは、木製の棺桶にいそいそと入り込んで眠ったふりなどしていた。ミラー博士は、棺桶にはいった状態で、ルーマニアのテレビ局のインタビューなぞ受けていた。あのふたりはいったい...

夜、星が輝く空を見上げながら、ホテルの庭で焚火。数メートルを超す火柱が、ぱちぱちと金色に散っていた。この火が落ちた頃、参加者が残り火の上を跳び超える行事(いったい誰が考え出したのやら)が行われた。珍しさからか、地元のテレビ局も取材に来ていた。はい、この私もとびましたです。例の若手女性プロデューサーは、さすがに20代。身軽に跳んだ〜と思ったら、着地に失敗して足首をねんざしてしまった。彼女にとっては、たいへんな宵であったろう。

お次はSibiu(シビウ)へ

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