プリンスエドワード島のL.M.モンゴメリ
(1894-1911)
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Lucy Maud Montgomery Birthplace
モンゴメリの生まれた家
ニューロンドンのクリフトンコーナーに位
置するその家は、19世紀なかばに建てられた。白く塗られたシングル材作りで、こじんまりとした、たたずまいである。
後年モードは、この家近くのニューロンドン
ハーバーを念頭に「アンの夢の家」(1917)のフォアウインズ岬を描写
している。
1874年11月30日生まれのモードは、母親が亡くなるまでの約1年9ヵ月をここで過ごした。この家には、モードのウエディングドレスや靴をはじめ、貴重な品々が展示されてある。モードが生まれた2階の部屋には、ベッドの傍らに小さなゆりかごが置かれてあった。
1階には、足踏み式の古いオルガンがあり、その側のガラスケースに、モードが作ったスクラップブックが数冊展示されてある。各ページには、雑誌からの切り抜き写
真やオペラのチケット、そして猫の毛なども貼られていて、彼女の趣向が推測できる。初期のモードの短編小説や詩が掲載されたアメリカの雑誌からの切り抜きも見られた。
小さいながらも、見るものがたくさんあるモードの生まれた家。いつか、あなたもぜひ、立ち寄ってみてください。
キャベンディッシュで暮らした年月がなかったら、Anne
of Green Gables(「赤毛のアン」)が書かれることはなかったでしょう、とモードは自伝The
Alpine Path (邦題「険しい道」)に記している。
乳時期に母親を亡くしたモードは、キャベンディッシュに住む母方の祖父母であるアレキザンダーとルーシー マクニールに育てられた。
両親の愛情には恵まれることはなかったが、マクニール農場の豊かな自然に囲まれ、モードはその想像の翼を広げることができたようだ。
結婚までの前半生(1876-1911) を過ごした農場は、現在では夏の間一般
公開されている。観光名所のグリーンゲイブルスから、うっそうとした木立のトンネルを抜けてゆくと、そこはもう別
世界のよう。
モードの好んだ、林檎、白樺、ポプラの木々が、両腕を拡げて迎えてくれる。色とりどりの花々が農場をわたる風にゆれ、小鳥たちの歌声が澄み渡る。敷地のところどころに表示板が立ち、「どうぞいらして、木立やガーデンを歩いてください」と誘ってくれる。ここには、モードが祖父母と暮らした家の姿は残っていないものの、建物跡の窪みは原型どおり再現されていて、往時を偲ぶことができる。
Book Storeの小さな看板が付いた素朴な作りの小屋が、農場内に立っている。ここは本屋さんというより、モードのことを知るための資料室といえる。祖父母の写
真、昔の農場の写真や置時計などとともに、ウエディングドレスを縫ったソーイングマシーンや、キャベンディッシュ郵便局で使われていた机が展示されてある。祖父母は、自宅の台所で郵便局を運営していたのが、祖父亡き後、モードはこの机に向かって、切手を貼ったり、スタンプを押したりと祖母の仕事を手伝ったに違いない。
モンゴメリが育ったマクニール農場は、その美しい姿を今も残している。

L.M. Montgomery Heritage Museum
モンゴメリが大好きだった父方のおじいさんの家
パークコーナーの「銀の森屋敷」と呼ばれるいとこの家の近くにあるこの邸宅は、モードが大好きだった父方の祖父の家だ。現在、L.M.
Montgomery Heritage Museumとしてオープンしている。
玄関右手のパーラーに入ると、ヴィクトリア朝の家具や小物がそのまま残っていて、まるでアンティークのお店のようだ。
暖炉横にあるガラスの扉のついたキャビネットを見ると、モードの小説「ストーリーガール」に出てくる陶製のフルーツバスケット、そしてガラス製のインク壷とペン拭きなどが飾られてある。
アンのファンが忘れてならないのは、陶製の犬「マゴグ」の存在。アン
シリーズに登場する白地に緑の斑点模様のゴグとマゴグのモデルとなった置物だ。今や残っているのは片割れマゴグだけであるが、そのぎょろりとした目つきのひょうきんなこと。
パーラーの片隅にある古いオルガンの傍に、1850年代から第1次大戦の頃までに爆発的に売れたstereopticon
(カードの絵や写真が立体的に見える幻灯機)が、風景画のカードとともに置かれてあった。立体幻灯機は、娯楽品でヴィクトリア時代の中流家庭に広く普及していた。成人してから写
真撮影に凝ったモードのことだから、幼い頃はこのstereopticonを覗いて楽しんだに違いない。
1878年に建てられたというこの家は、お祖父さんの家と呼ぶにふさわしい雰囲気を持っている。古いけれど、長い年月とともに土に根を張っているような堂々とした家だ。
モードの祖父ドナルド モンゴメリは、長らく上院議員を務め、見るからに偉丈夫で、"Big
Donald"と呼ばれ親しまれていた。モードにとっては、いつも親切で優しいお祖父さんであったようだ。
議員であった祖父は、初代カナダ首相ジョン
A. マクドナルドと旧知の仲であった。祖父に連れられたモードは、1890年8月、島を訪れていた首相夫妻に会う機会があった。15歳のモードは、首相を"spry-looking
old man" で、ハンサムではないけれど好ましい顔つきだと日誌に記している。この少女時代の貴重な体験をもとに、後にモードは「赤毛のアン」の中でマリラにこう言わせている。
「そうだね、顔で首相になったんじゃないね。(中略)あんな鼻をした男、見たことないよ!」(「赤毛のアン」松本侑子 訳)マリラの言い方が気になったので、カナダの10ドル札に載っているジョン
A. マクドナルドの顔を見てみた。でんと居座っている長くて大きな鼻!マリラは口は悪いが正直者だと私は思う。
敷地内には、Senator "Big Donald"
Montgomeryと孫娘モードの功績を称えた立派な記念碑が立っている。アメリカやカナダ各地から集まったモンゴメリ一族が、1995年6月にこの碑を設置されたそうだ。孫娘が有名作家となろうとは、そのうえ、石碑が立ったり、自分の家に観光客がやって来るようになろうとは、ドナルド モンゴメリ氏は思いもしなかったことだろう。
玄関前の斜面を下りながら、少女時代のモードが幾度も訪ねたお祖父さんの家を振り返る。軒に飾られているP.E.I.
州の旗に並んで、カナダの国旗とアメリカの星条旗、それに日の丸の旗が海からの風を受けて翻った。ふと見上げると、髪の長い少女が、二階の窓からこちらに手を振っているような、そんな気がした。
Anne
of Green Gables at Silver Bush
パーク・コーナーのいとこの家「銀の森屋敷」
ここは、ジョン キャンベル伯父とアニー伯母(モードの母の姉)の家だった。モードとこの家との絆は深い。少女時代、ここに住むいとこ達を訪ねては、楽しく遊び騒いだ。「銀の森屋敷」は、
祖父母に厳しく躾けられていたモードの息抜きの場でもあった。
現在もモードの親戚が住んでいて、彼女ゆかりの品を展示し、
Anne of Green Gables Museum at Silver Bush の名のもとに屋内を一般
公開している。
切妻屋根は緑色に塗られた木製のレース飾りに縁どられ、おしゃれな装い。
白い壁面は木々に囲まれて、まるで緑の手の平に包まれているよう。敷地内にはアンの「輝く湖水」のモデルとなった湖がたゆたっている。
「銀の森屋敷」内には、モードの時代の衣装や家具がそのまま置かれている。
台所で目についたのは「ストーリーガール」に登場するブルーチェスト。これはモードの父のいとこにあたるエライザ モンゴメリのものでブルーチェストにまつわる話をモードは何度も聞いて育ったという。
アンの架空の友達 ケイティが棲んでいたのはガラスの扉の書棚だったが、これも作者自身の体験に基づいている。楕円型の左側のガラスに写
る影にはケイティ モーリス、右側に写る影にルーシー グレイと名付け、想像の世界に遊んだモード。その書棚はキャベンディッシュのマクニール家から「銀の森屋敷」に移され展示されている。
1911年7月5日、この家のフロント
パーラーでモードは結婚式を挙げたが、その日、演奏に使われたオルガンも昔のままの姿で残っていた。最近では、日本人のカップルがやって来て、同じ部屋で挙式するという観光プランもあるそうだ。モードの結婚生活が幸福とは言い難いことを考えると何とも複雑な気持ちになる。
結婚後、夫の赴任先オンタリ州オリースクデイル村へ移ったモードは、住まいとなった牧師館の部屋に「銀の森屋敷」の写
真を飾っていた。「こんな自分の家を持つことさえできたら。私は満足するだろう」と1917年に記している。モードにとって、広々とした屋敷は理想であり、また、笑い声の絶えない家庭的な家に憧れたのだろう。
開かれているドアから部屋をひとつひとつ見ているうちに、今モードがこの家を見たらどう思うだろうか、と考えた。もともとキャンベル家は豊かな農家であったが、後継者に恵まれないことから、農場経営は危なくなった。愛する土地を維持させるがために、モードはいとこ達への資金援助を長年に渡って続けた。大恐慌の1930年代にすら、身を削る思いで大金を送っている。そのうえ、いとこ達の学費も援助している。断ち切れない親族との強い絆、そして愛するパークコーナーの土地への執着心。こういうモードであるから、家に囚われるパットを主人公にした「銀の森のパット」「パットお嬢さん」といった作品を生みだせたのであろう。
モードの思いは、農場の維持であったが、今やその
敷地内には立派なティー ルームとギフトショップの建物が立っている。観光客向けに大きな看板が立てられた。土地は手入れがうつくしく行き届いている。
モードの思い出を残すことが、ビジネスとして成り立っているようだ。今後もキャンベル家の子孫が、この土地を維持してゆくことだろう。モードは亡くなった後も、遠くからSilver
Bushを守り続けているようだ。
Lucy
Maud Montgomery Lower Bedeque School Museum
ロウアーベデックのワンルームスクール
モードが教えた3つの小学校のなかで、今のところ見学できるのは、ロウアーベデックのワンルームスクールのみだ。
建物は1840年に建てられ、19世紀末に現在の場所に移された。1960年代まで使用され、その後一時閉鎖されたものの、地元の有志が修復して現在は観光シーズン中オープンされている。
日本のモンゴメリファンクラブButtercupsからは、修復のための寄付金が贈られた。カナダの一地方の文化財保護のために日本の人々が協力されたとは、なんと素晴しいことだろう。
ワンルームスクールは、「開拓時代の小屋」といった風情だ。室内には重そうな薪ストーブが据えられている。正面
には大きな黒板、その上に飾られている英国旗やヴィクトリア女王の写真が目につく。
モードはここで1897年10月から半年ほど勤めている。子どもたちは素直で勉強ができるとモードは喜んだ。
机の上の石盤や20世紀初頭の手擦れた教科書が、まるで子どもたちの登校を待っているかのようだ。教壇に立って、モンゴメリ先生の姿を想像してみた。アンのように、子どもに鞭をふるって後悔したことがあっただろうか。
この頃、遠縁にあたるエドウィン
シンプソンと婚約中の身でありながら、下宿先の若者ハーマン レアードを恋慕う。知的で利己的なエドと学歴はないが魅力ある農夫ハーマンとの間で、揺れ動くモード。
1898年3月、祖父が亡くなると残された祖母の世話のためにキャベディッシュに戻ることになり、ハーマンとの恋愛にピリオドを打った。その後間もなくハーマンは病死するが、モードは心のなかで彼を終生慕い続けることになる。
ロウアーベデックのワンルームスクールは、教師としても女性としても自立したモードを象徴しているようだ。

Resting
Place of L.M. Montgomery
モンゴメリの眠るお墓
モードの育ったマクニール農場を後にして、キャベンディッシュ共同墓地へ向かう。入り口のアーチに大きくResting
Place of L.M. Montgomeryと記してある。
生前、この墓地に埋葬されるのを願っていたモードは、1942年4月24日にトロントの「旅路の果
て荘」で息を引き取った数日後に、夫と息子たちに見守られ声無き人として帰郷した。
昔の写真を見ると、高台に位置する墓地から「赤毛のアン」の舞台設定になった家グリーンゲイブルズを見下ろすことができたことがわかる。今や、木々で覆われ視界は遮られているが、モードがこの墓地を選んだ1923年当時は、彼女の愛する池や海辺など、若き日々の生活空間すべてを見渡すことができたのだ。
キャベンディッシュ共同墓地には、モードの母親や母方の祖父母の墓石もあるが、両者ともモードのそれに比べれば、たいへん質素である。花々に囲まれ静かに立っている墓石を眺めてみた。
夫ユーアンの名が2種刻まれているのが興味深い。正式にはEwenだというが、モードはEwanと綴っていた。モードの名前へのこだわりはよく知られている。自分の名前はeのつかないMaudであると強調しているし、「赤毛のアン」の主人公アンは、eのつくAnneという自分の名にこだわった。人生のパートナーから生涯Ewanと記された夫Ewen。彼は、一体どんな気持ちだったのだろうか。
墓石を今一度眺めてみる。モードの肉体は朽ち果てただろうが、彼女の精神は紫色の風となって漂っているような、そんな思いにとらわれた。